4 国の内外で研究室が果たして来た役割
本計画の趣旨を理解せしめるには,後藤とその研究室が可換環論研究と同分野に於ける人材育成の両面で果たしてきた営為と役割について,若干の説明を行う必要がある。
後藤の研究室では,明治大学の大学院の学生達も出席しながら,毎週土曜日に,東京近郊の幾つかの大学の研究者達よりなる可換環論のセミナー「明治大学可換環論セミナー」が開催されている。日本全体では約70名の専門研究者がいるが,このセミナーは(今のところは)国内最強であり,国際的にも少しは知られた存在である。
実際,明治大学可換環論セミナーと後藤研究室が,国の内外に於ける可換環論研究に占める地位は小さくない。後藤は,前任校である日本大学文理学部に於ける18年間と明治大学理工学部に於ける12年の計30年間,可換環論の研究に従事してきた。しかしながら,その業績を数学研究の観点のみから評価するのは,一面的な見方である。後藤研究室が可換環論分野の人材育成に果たしてきた役割は(実は,分不相応に)大きいからである。以下,この観点を中心に,可換環論分野で後藤研究室が国際的にも著名であり高く評価されている所以を実証的に述べ,本COE計画の理念と骨子を詳細に説明したいと思う。
4.1 日本大学可換環論セミナー・明治大学可換環論セミナーで育った人々
上述のように,日本大学時代は火曜日と金曜日の週2回,明治大学へ移籍後は土曜日1回,11時から夕方6時頃まで,近隣のみなでなく遠く関西や北海道から参加するメンバーを含めたセミナーが,後藤を中心に行われている。定期的な出席者は
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- 渡辺敬一(日本大学文理学部教授)
- 青山陽一(島根大学教育学部教授)
- 鈴木直義(静岡県立大学教授)
- 山岸規久道(姫路独協大学教授)
- 下田保博(北里大学助教授)
- 西田康二(千葉大学大学院自然科学研究科助教授)
- 蔵野和彦(東京都立大学大学院理学研究科助教授)
- 中村幸男(明治大学理工学部助教授)
- 鴨井祐二(明治大学商学部専任講師)
- 川崎健(東京都立大学大学院理学研究科助手)
- 加藤希理子 (大阪女子大学専任講師)
- 居相真一郎(北海道教育大学専任講師)
- 早坂太(明治大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻博士後期課程1年)
- 櫻井秀人(明治大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻博士前期課程2年)
(敬称略)である。岡山大学理学部の吉野雄二教授も,明治大学大学院理工学研究科に於ける集中講義を機会に,セミナーに定期的に参加されている。メンバーの多くは,様々に異なる大学の大学院修士課程から参加し,このセミナーで数学を学び訓練を受け,各大学の大学院博士課程へと進み,課程博士の学位を取得した者達であることは,COE構想への本計画の申請にあたり,特筆大書すべき事柄であるかも知れない。例えば,鈴木・下田・山岸・鴨井の学位論文は,後藤の助言の下に書かれたものである。西田・中村・川崎は,修士課程1年からセミナーに出席し,後藤の指導下に大学院生活を送り,博士の学位を取得している。これらの人々は,公的には千葉大学や東京都立大学・東京理科大学・東海大学の大学院学生で� ��って後藤の学生ではないが,その研究は後藤の指導下に行われた。このような 「inter-university」の教育・研究指導は,(学位論文等謝辞に於ける言及を除けば) 公式記録に残ることはないとは言え,COE事業の理念と理想の根幹をなすものであって,事業の目的である「大学院博士後期課程学生の教育支援」を実践的に先取りするものであると考えられる。
/軍事科学とは何か
居相慎一郎は明治大学における後藤の最初の学生であり,後藤は主査として居相の学位審査にあたった。付言すれば,早坂・櫻井は居相の後に続く人々である。思えば,研究室も貧弱なうす汚い相部屋であり,研究費にも事欠くことが多かったにも拘わらず,日本大学時代から周囲に若い人々が集まり,明治大学に場を移した後も,熱気と活力に満ちた(そして,研究者としての「生き残り」を賭けた)セミナーが計30年間続き,多くの人々が育っていったことを,後藤は心から誇りに思う。
しかしながらこの営為も,決して後藤一人の力ではなく,多くの人の支援と力添えがあったからこそ可能であったことは,公正に記録すべきであろう。例えば,永田雅宣京都大学教授,松村英之名古屋大学教授,ドイツのM. Herrmann教授 (Koeln 大学) やJ. Herzog教授 (Essen大学) には,大きな援助を頂いた。明治大学可換環論セミナーのメンバーの内で,西田・中村・川崎・鴨井の4人には,大学院後期課程在学中や日本学術振興会特別研究員PDの頃に,M. Herrmann教授とJ. Herzog教授からの資金援助によってドイツに留学し,両教授の指導下に1年間研究生活を送らせることを得たが,彼ら若手の成長にとって1年間のドイツ生活体験が如何にプラスに作用したか,計り知れない。未だ名の知れぬ若手の海外研究者に対し,寛容にも,世に出る機会を惜しみなく与えてくれたM. Herrmann教授亡き今,今後は日本のCOEとしてその営為「海外若手研究者の受け入れと教育」を継承し,ご恩に報いる義務があるのではないかと思わずには居れない。
4.2 海外研究者との交流
日本大学・明治大学可換環論セミナーは,研究成果を引っ提げ,長年に渡って海外の多数のConferenceに出席し,講演を行ってきた。(初期の渡航資金は,私費によるか,主催者からの部分的援助に負う。) 次第に可換環論分野で著名となり,欧米研究者との間で密接な交流が実現するに至る。(但し,当方の資金不足のため,長期に渡る招聘滞日は少ない。)
明治大学可換環論セミナーを訪れ,後藤やその周囲の人々と親しく共同研究を行った人々は下記の通りである。この豪華なリストは,後藤研究室と明治大学可換環論セミナーの実力を如実に示すものである。
スーフォールズ科学博物館
- C. Huneke (Kansas大学,USA)
- P. Roberts (Utah大学,USA)
- L. Avramov (Nebraska大学,USA,1月明大に滞在)
- B. Ulrich (Purdue大学,USA)
- W. Bruns (Osnabrueck大学,ドイツ)
- J. Herzog (Essen大学,ドイツ)
- A. Geramita (Genova大学,イタリア)
- N. V. Trung (Institute of Mathematics, Hanoi,ベトナム,東京都立大学の配慮と資金で3月滞在)
- W. Vogel (Halle大学,ドイツ;逝去)
- M. Herrmann (Koeln大学,ドイツ;逝去) ¥end{enumerate}
これらの人々は,アメリカ・ドイツ・ベトナム・イタリアで高い指導的地位にあり,既に自国のCOEを成す。本計画も,これら各国の拠点との密接な連携交流の下,我が国に於けるCOEとして,可換環論に於ける教育研究の一層の充実と発展を目指さんとするものである。
4.3 外国人若手研究者の長期滞在
M. Herrmann教授の学生であったT. Korb (Koeln 大学) は,日独交流基金(DAAD)によって1995年に1年間後藤研究室に滞在した。同年配のKorbの存在が明治大学の学生達に研究上与えた影響は,計り知れない程大きい。また,韓国からは1999年にM.-K. Kim (Sungkyunkwan 大学) が2回に分けて訪れ,計4月滞在し,論文3編を書いて帰国した (彼女の滞在資金は,後藤からの援助に負う。)。
同様の依頼と申請がバングラデイシュとイランから数件あった。既に多くの学生を抱えて後藤が余りにも多忙であったことも大きな理由ではあったが,主に資金不足が原因で辞退した。開発途上国からの資金では,貨幣価値の格差が大き過ぎ,滞日には到底十分でない。本計画の基本目標の一つである「開発途上国からの研究留学生や若手研究者の受け入れ」など,当方に資金があれば可能なことは多い。明治大学は開発途上国からの未だ著名でない若手研究者の滞日資金の補充には,あまり関心がないようである。
4.4 国際会議の主催
海外研究者との交流経験と豊富な人脈を生かし,21世紀に於ける発展を期して,2001年に横浜で(明治大学自然科学研究所の「重点研究費」と後藤の科研費を資金に)国際会議「Conference in Commutative Algebra in Japan, 2001」を開催した。2001年8月20日から24日まで,総参加者60余名,公演数35 (C. Hunekeによる3時間の連続講義を含む。) である。
特筆すべきは,C. HunekeとN.V. Trung がその学生計10名余を率いて参加し,(明治大学とは限らない)日本人大学院学生達10名余と親しく研究成果の交流を行ったことであろう。居相真一郎をはじめ,早坂太・櫻井秀人に与えた研究上の刺激としては,これ以上望むべくもないものであり,特に早坂は,その修士論文の成果を30分にわたる講演という形で発表し,国際社会における研究者デビューを果たすことに成功した。このような国際会議を継続的に開催することは,本計画に於ける中心的営為の一つである。
4.5 国内シンポジウムの開催
日本国内には,渡辺敬一と後藤四郎が立ち上げ,管理・運営し続けている「可換環論シンポジウム」がある。今年で25回目を迎えるが,3泊4日年1回秋に泊まり込みで開催され,実行幹事は交替するが,毎年非常に充実した研究成果の発表が行われている。
このシンポジウムは,原則として講演を公開募集する。運営資金は主に科研費(様々な方からの補助による。)であるが,通常このような「完全公募」という方法で運営すると,講演のレベルが著しく低下するものである。後藤が目を光らせているためもあるかも知れないが,可換環論シンポジウムの場合には非常に優れた内容の講演が大半を占め,講演の申し込み数も多く,(夜間も講演を行わざるを得ないなど)プログラムを組むのに苦労するほどの充実ぶりである。特筆すべきは,この可換環論シンポジウムが若手研究者の育成に果たした役割が非常に大きいことである。博士前期(修士)課程の学生,時には学部の学生も出席を許され,最先端の研究成果に触れることができるだけではなく,異なる大学の大学院学生間で相互交流� ��端緒が得られることには,教育上抜群の効果があった。また,志あるものは修士論文成果を発表することが許され(殆どすべてが後に然るべき学術専門誌に掲載され,学位論文の準備となっている。),この営為が研究者への道の第一歩となったことには,疑問の余地がない。主催者に断固とした決意と構想がある限り「講演公募」という可換環論シンポジウムの運営法にも,非常に大きな長所があると判断される。
後藤が幹事を勤めた過去何回かの可換環論シンポジウムでは(時には「私費」を投じても)海外の若手研究者を招き,講演を依頼している。N.V.Trungはそのようにして始めて来日した外国人研究者であったし,最近でも,D. CutkoskyとE. Hyryの例がある。海外から優れた研究者を招き,親しく研究成果の交流を行うことは,若手研究者を育てるための必須の営為である。今や,資金さえあれば,このような機会を増やすことは,極めて容易であり,基本政策の一つとして本COE構想に取り入れたいと考える。
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