俺
スレタイが「世界一の馬鹿」なら同意してやる
ノイマンで決まりかな
ゲーム理論の基礎作ったり、ノイマン型コンピュータ作った。
ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann 1903年12月28日 – 1957年2 月8日)
ハンガリーの数学者。20世紀科学史における最重要人物の一人。
数学・物理学・工学・経済学・計算機科学・気象学・心理学・政治学に影響を与えた。
幼い頃より暗算と語学の才能を見せた。英才教育も受け、能力を伸ばす。6歳で8桁の割り算を行い、ギリシャ語を話せた。8歳で微分積分をものにした。興味は数学にとどまらず、世界史やゲーテの小説などに関しては一字一句間違えず暗唱できた。
クルト・ゲーデルの次に第一不完全性定理を理解したといわれている。水爆の効率概算のためにフェルミは大型計算機で、ファインマンは卓上計算機で、ノイマンは天井を向いて暗算したが、ノイマンが最も速く正確な値を出した。ENIACとの計算勝負で勝ち、「俺の次に頭の良い奴ができた」と喜んだ。ノーベル経済学賞受賞者ポール・サミュエルソンの教科書をみて「ニュートン以前の数学ではないか」と言って笑った。ノーベル経済学賞受賞者ジョン・ナッシュのナッシュ均衡に関する歴史的論文を一瞬見て「くだらない、不動点定理の応用ではないか」と笑った。
ジョン・フォン・ノイマン – Wikipedia
ノイマンは天才ではないな。超天才。
天才とはアインシュタインぐらいの人をいう。
「私は、微分方程式に例えれば、ラプラス方程式であって、
アインシュタインのような科学者はポアソン方程式である」
「私の事を天才と言う人がいるが、周知の真の天才がいる。それは、アインシュタインである。
私自身自分の才能は認めるが天才とはいえない。」
「つくづく、この年になって思う事は、アインシュタインの偉大さだよ。
独創性と先見性、創造性。彼のそれは真のものさ。
どうやったらこんな事に気づく、・・・というよりは、彼の頭の中では
当然だったのだろうけれども、それを数式に示すのに時間がかかっただけなんだろうけれどね。俺は天才という言葉は慎重に使うべきと常々思っているんだが、唯一真に言えるというなら、アインシュタイン 彼だけだろうさ。」
アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein 、1879年3 月14日 – 1955年4 月18日)
ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者。
20世紀最大の物理学者とも、現代物理学の父とも呼ばれる。特に彼の特殊相対性理論と一般相対性理論が有名。
9歳の時にピタゴラスの定理の存在を知り、その定理の美しい証明を寝る間も惜しんで考え、そして自力で定理を証明した。
12歳のときユークリッド幾何学の本をもらい独習。微分学と積分学も、この当時に独学で習得したといわれている。
彼は常に発明はユニークな発想と考えており、自身を天才であるとはいささかも思っていなかったという。それは彼の「私は天才ではない。ただ人よりも長く一つのことと付き合っていただけだ」との言葉にも表れている。
アルベルト・アインシュタイン – Wikipedia
ウィッテン
Edward Witten
反論はゆるさねえ
いったん文系面へ落ちたら理系へは戻れないと思ってた自分に取って衝撃的だ
理論物理学者で数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞
弦理論を発展させたM理論を提唱。
エドワード・ウィッテン(Edward Witten, 1951年8 月26日 – )
超弦理論においてM理論を提唱した理論物理学者。現在はプリンストン高等研究所教授。
ブランダイズ大学時代は歴史学を専攻していて物理は趣味として学んでいたが、歴史専攻時代から物理学科の教授の間でも有名なくらい切れ者で通っていた。
物理学者であるが数学最高峰のフィールズ賞を受賞。ウイッテン以上に数学をあやつれる研究者は他にいないという評判である。理論が実証不可能な超高度なものであるため、ノーベル物理学賞はまずもらえないと言われる。
エドワード・ウィッテン – Wikipedia
【ニコニコ動画】天才物理学者ウィッテン1/2
天才といえばシャノンが思い浮かぶのだが
現社会への影響力は最大だと思われ。でも亡くなられましたが
電気回路・通信ネットワーク・暗号・圧縮アルゴリズム等、
情報系のほとんどの分野で「シャノンの情報量」が使われている。
"知る"為の方法の一つの形を提示した。そして、人間は決して、生の
情報をそのまま知る事は出来ないという事を数式的に示した。
クロード・シャノン(Claude Elwood Shannon、1916年4 月30日 – 2001年2 月24日)
アメリカの電気工学者、数学者。20世紀科学史における最も影響を与えた科学者の一人である。
情報理論の考案者であり、情報理論の父と呼ばれ情報、通信、暗号、データ圧縮、符号化など現在の情報社会に必須の分野の先駆的研究を残した。アラン・チューリング、ジョン・フォン・ノイマンらとともに今日のコンピュータ技術の基礎を作り上げた人物としてしばしば挙げられる。
クロード・シャノン – Wikipedia
・二つ以上の分野で一流の業績あげた人
・当たり外れはともかく、大胆な予想をした人
・人が見向きしなかった分野を開拓した人
理系の人には知名度高くないかもしれないけれど、これ、絶対。
>>27 全部クリアしてる。
エイヴラム・ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky, 1928年12 月7日 – )
アメリカ合衆国の言語学者、思想家。マサチューセッツ工科大学教授。
チョムスキーの提唱する生成文法とは全ての人間の言語に普遍的な特性があるという仮説をもとにした言語学の一派である。その普遍的特性は人間が持って生まれた、すなわち生得的な、そして生物学的な特徴であるとする言語生得説を唱え、言語を人間の生物学的な器官と捉えた。
現代の言語学を語る上でチョムスキーの言語理論を避けて通ることはできず、その影響は自然言語研究だけでなくコンピュータ言語や哲学、数学などの分野にも及んだ。
ノーム・チョムスキー – Wikipedia
どのようにした知能テストの開始
ノーベル経済学賞受賞の経営学者。
しかしその研究分野は経営学にとどまらず、
情報工学(人工知能の生みの親でもある)、生命情報、認知科学、心理学、経済・金融など。
ソフトウェア的な「システム」と呼ばれるものすべてが彼の研究対象だった。
ハーバート・アレクサンダー・サイモン(Herbert Alexander Simon、1916年6 月15日 – 2001年2月 9日)
アメリカ合衆国の政治学者・認知心理学者・経営学者・情報科学者。心理学、人工知能、経営学、組織論、言語学、社会学、政治学、経済学、システム科学に影響を与えた。
人工知能への貢献から1975年にチューリング賞、1978年にはノーベル経済学賞を受賞、さらに1986年にはアメリカ国家科学賞を授与されている。
ハーバート・サイモン – Wikipedia
ブノワ・マンデルブロ(Benoît B. Mandelbrot, 1924年11月20日 – )
ユダヤ人でフランス系アメリカ人の数学者。フラクタルの父として著名である。マンデルブロートとも表記される。
1951年からマンデルブロは数学だけでなく、情報理論、経済学や流体力学の研究と論文発表を行なった。これらの研究の結果、彼は長距離秩序と自己相似という2つの研究テーマを選んだ。マンデルブロは金融市場の価格変動が正規分布ではなく、理論的には分散が無限大である安定分布に従っていることを発見した。
1982年、マンデルブロは自身の理論を拡張し、The Fractal Geometry of Nature として発表した。この論文の影響により、専門的な分野と一般的な数学の両方で、マンデルブロの理論は主流となった。
ブノワ・マンデルブロ – Wikipedia
ドナルド・エルビン・クヌース (Donald Ervin Knuth, 1938年1 月10日 – )
数学者、情報工学者。スタンフォード大学名誉教授。
クヌースによるアルゴリズムに関する著作 The Art of Computer Programming のシリーズはプログラミングに携わるものの間ではあまりにも有名。
アルゴリズム解析と呼ばれる分野を開拓し、計算理論の発展に多大な貢献をしている。コンピュータによる組版システムTeXとフォント設計システムMETAFONTの開発者でもあり、文芸的プログラミングのコンセプトを生み出した。
ドナルド・クヌース – Wikipedia
みんな確かに凄いけど、世界一ではないだろ。明かに。
でもウィッテンはいい線いってる。
ネーターぐらいしか思い浮かばない。
キューリーはノーベル化学、物理賞2個受賞しとる
アマーリエ・エミー・ネーター(Amalie Emmy Noether、1882年3 月23日 – 1935年4 月14日)
20世紀初めに活躍したドイツ出身の女性数学者。
環論において重要な概念であるネーター環を提唱した。対称性があるところには それに対応する保存則が存在するというネーターの定理は物理学の分野の基本定理である。
女性に大学への入学は認められていない時代であったがネーターは聴講を許された。パウル・ゴータンのもとで1907年に学位を取ると、その才能は評判になった。ヒルベルトに招かれて、1915年にゲッチンゲン大学へ移り、当時、女性には教授になる資格は与えられなかったにも拘らず、ヒルベルトの努力で特別に教授となった。
エミー・ネーター – Wikipedia
マリア・スクウォドフスカ=キュリー(Maria Skłodowska-Curie, 1867年11 月7日 – 1934年7月 4日)
ポーランド(ポーランド立憲王国)出身の物理学者・化学者。キュリー夫人(Madame Curie)として有名である。
フランスのソルボンヌ大学を卒業。夫のピエール・キュリーともに、大量のピッチブレンド(瀝青ウラン鉱)の残渣からラジウムとポロニウムを精製、発見した。
1903 年に夫婦でノーベル物理学賞を受賞した。夫ピエールは1906年に事故死したが、彼女は1911年に単独でノーベル化学賞を受賞した。ノーベル賞の授賞式は、大学の授業を理由に欠席している。彼女とその一家は歴史に名前をとどろかせている。彼女が物理学賞と化学賞、夫ピエールが物理学賞、娘夫婦(イレーヌ・ジョリオ=キュリーとフレデリック・ジョリオ=キュリー)がそれぞれ化学賞を得ている。
マリ・キュリー – Wikipedia
あの体で看護婦と浮気して離婚したわけだしw
スティーヴン・ウィリアム・ホーキング(Stephen William Hawking、1942年1 月8日 – )
イギリスの理論物理学者である。「車椅子の物理学者」として知られる。
ブラックホールの蒸発や宇宙論などの理論のほか、一般の人向けの啓蒙書『ホーキング、宇宙を語る』の執筆などで非常に良く知られている。
サイエンスフィクションを好み、実際にアメリカのSFテレビドラマ『新スタートレック』に本人のホログラムイメージ役で出演の経験がある。
タイムトラベルが不可能であるとする「時間順序保護仮説」を提唱した。この仮説では、過去に行くことを許容する閉じた時間線が存在するためには場のエネルギーが無限大でなくてはならないとする。
スティーヴン・ホーキング – Wikipedia
シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(Srinivasa Aiyangar Ramanujan、1887年12月22日 – 1920年4 月26日)
インドの数学者。極めて直感的、天才的な閃きにより「インドの魔術師」の異名を取った。
15歳のときにジョージ・カー(George Shoobridge Carr)という数学教師が著した『純粋数学要覧』という受験用の数学公式集に出会ったことが彼の方向性を決めた。奨学金を得て大学に入学したが、数学に没頭するあまり授業に出席しなくなり、奨学金を打ち切られて退学に追い込まれた。
大学で系統的な数学教育を受けなかったため、彼は「証明」という概念を持っておらず、得た「定理」に関して彼なりの理由付けをするに留まっていた。(寝ている間にナマギーリ女神が教えてくれた、など)
彼はその短い生涯の間に3254個の数学の公式を発見したという。現在ラマヌジャンの遺産は概ね証明を得られたものの、何故ラマヌジャンがそのような着想に至ったのかについては未だに謎が多く、そこには未知の数学的鉱脈が眠っている可能性がある。
シュリニヴァーサ・ラマヌジャン – Wikipedia
1996年に亡くなったよね。研究一筋だったらしい
者エルデシュ)によると,論文数は1475本だという。
Hoffmanもbanffの写真に写っていた。僕は,700だと聞いたが,記憶
違いでした(訂正)。
天才にアスペやADHDが多いのもうなずける
私も前にカンマを使用しない
ポール・エルデシュ、エルデーシュ・パール(Erdős Pál, Paul Erdős1913年3 月26日 – 1996年9 月20日)
ハンガリーの数学者。生涯に約1500篇もの論文(多くは共著)を発表しており、これ以上に多産な数学者はレオンハルト・オイラーのみである。
数論、組合せ論、グラフ理論を初め、集合論、確率論、級数論など幅広い分野で膨大な結果を残した。
彼の伝記(邦題『放浪の天才数学者エルデシュ』)には「博物館に行っても付いていくのは彼の体だけだった」等、数学への情熱を具体的に示すような記述が多くあり、彼がいかに純粋なる研究者であったかが伺われる。いつ寝ているか分からないほど数学をやっていたらしく、一日19時間数学の問題を考えていたと言われている。
ポール・エルデシュ – Wikipedia
ガールフレンドと夜道をドライブ中にPCRを思いついたとかおもしろい。
抽象的な概念など何一つない生命科学に天才なんてね….w
生命系で天才と呼ばれる人は、やってた研究がたまたま意味のあることだっただけ。
運の問題。純粋に頭脳だけで天才って人は物理や数学に多いと思うな。
生命系の俺が言うから間違いない。
フレデリック・サンガー(Frederick Sanger, 1918年8 月13日 – )
イギリス・グロスターシャー州レンコム出身の生化学者。
ペプチドの末端アミノ基にジニトロフェニル基を結合させると黄色く着色することを利用し、タンパク質のアミノ酸配列を決定する方法を確立した(サンガー法)。この手法を用いてインスリンの一次構造の特定に初めて成功し、タンパク質がアミノ酸の連結したものであることを最終的に確定させた。この功績により1958 年のノーベル化学賞を受賞。
史上初の個人のノーベル賞3度受賞に最も近い人物といわれる。
フレデリック・サンガー – Wikipedia
キャリー・マリス(Kary Banks Mullis, 1944年12月28日 – )
アメリカ合衆国ノースカロライナ州レノア出身の生化学者。ポリメラーゼ連鎖反応 (PCR) 法の開発によって知られる。
また、その功績により、1993年にノーベル化学賞及び日本国際賞を受賞した。
PCR法によるDNAの増幅方法を考え出した。このアイデアはドライブ中に思いついたといわれる。後に好熱菌のDNAポリメラーゼであるTaqポリメラーゼを用いる改良法が開発され、世界の分子生物学の進展に大きな影響を与えた。エイズの原因はHIVではないと主張している。地球温暖化やフロンガスによるオゾン層破壊も否定するなど、学界の主流から外れた主張を繰り返すことでも知られる。
キャリー・マリス – Wikipedia
田中 耕一(たなか こういち、1959年8 月3日 – )
日本の化学者・エンジニアである。文化功労者、文化勲章受章者。
2002 年ノーベル化学賞受賞。受賞理由は「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」。同年文化勲章受章、文化功労者となる。富山県名誉県民、京都市名誉市民、名誉博士(東北大学)などの称号も贈られている。受賞当時は島津製作所に勤める会社員であり、会社員のノーベル賞受賞として日本国内で話題となった。 2007年時点で、化学分野において、「博士の学位」「修士の学位」「専門職学位」を保持しないノーベル賞受賞者は、田中耕一のみである。
田中耕一 – Wikipedia
中村 修二(なかむら しゅうじ、1954年5 月22日 – )
電子工学者、工学博士。 青色発光ダイオードや青紫色半導体レーザーの製造方法などの発明・開発者として知られる。
日亜化学工業社員時代に青色発光ダイオードの開発を社長に直訴し、会社から約3億円の開発費用の使用を許される。 米国・フロリダ大学に1年間留学後、日亜化学工業に戻り約2億円程度するMOCVD装置の改造に取り掛かるが、社長の交代等もあり研究の取り止めを求められた(著書より)。その後、青色発光素子であるGaN(窒化ガリウム)の結晶を作製するツーフローMOCVDを発明した。弁護士とは異なる記者会見を設け「日本の司法は腐っている」と述べた。
大学入試を廃止し、入学希望者全員入学にすべきだと主張している。京都大学大学院工学研究科を受験したが、1点差で不合格となったことが自身の主張に至ったと著書で述べている。
中村修二 – Wikipedia
自然科学の女王である数学に
「あんたにも弱点があるんだYO!」と言ってくれた人
科学者じゃないか?
彼が考えた不完全性定理は当時ノイマンしか理解できなかったお。
良き理解者のノイマンは不完全性定理のことを
数学史上最も重要な定理だと認めていたお。
多くの論理体系や哲学体系は不完全性定理によって完全に否定されたお。
そのショックとインパクトは相対性理論以上だお。
数学の無矛盾性を証明する方法論、ヒルベルト・プログラムまで否定されたお。
晩年は論理学を使って「神の存在証明」を試みたけど、発狂して餓死しちゃったお。
たぶん人類史上最も深いことを考えたのがゲーデルだお。
クルト・ゲーデル(Kurt Gödel, 1906年4 月28日-1978年1 月14日)
オーストリア・ハンガリー二重帝国(現チェコ)のブルノ生まれの数学者・論理学者である。
業績には、完全性定理及び不完全性定理、連続体仮説に関する研究が知られる。
20 世紀の数学基礎論、論理学にとって最も重要な発見とされる「不完全性定理」を発表した。これはヒルベルトが数学の無矛盾性を証明するために推進した「ヒルベルト・プログラム」にからんで研究されたものであるが、「数学は自己の無矛盾性を証明できない」ことを示した不完全性定理は、正にヒルベルト学派の主張した有限の立場を忠実に用い、手法としての超数学を具体化して、皮肉にもそのプログラムが本質的に不可能であることを暗示した。不完全性定理は、ジョン・フォン・ノイマンら当代一流の学者の激賞を受け、「人間の理性の限界を示した」とも評されている。晩年は非常に内向的となり、精神にも失調をきたしていたらしく、毒殺されることを恐れる余り妻アデルが作った食事以外は自分が調理した食事すら口にしなかった。夏でも冬服を着込み、毒ガスによる暗殺を恐れたために冬でも家の窓を開け放っていた。人前に出ることはあまり無く、自宅にこもって哲学と論理学の研究を続けていた。最終的にはアデルが入院していた間に絶食による飢餓状態となり、プリンストン病院で死去した。
クルト・ゲーデル – Wikipedia
一番の天才。
20世紀の天才にはゲイはイパーイいるぞ
アラン・チューリング(Alan Mathison Turing, 1912年6 月23日 – 1954年6月 7日)
イギリスの数学者。現代計算機科学の父と言われている。
チューリング・テストでは、人工意識(機械が意識を持ち思考することができるか)についての議論に挑発的かつ大きな影響を与えた。チャーチ=チューリングのテーゼのチューリング版として広く認識されているチューリングマシンでは、計算とアルゴリズムの概念の形式化手法を提供した。実用的なほとんどのコンピュータモデルはチューリングマシンと同等かサブセットの機能を持っている。同性愛者であったが、当時のイギリスでは同性愛は違法だった。1952年、自宅を泥棒に入られた事件を警察に報告したが、捜査の過程で、警察の知るところとなり有罪となる。
入獄を避けるため同性愛の性向を矯正するために性欲を抑えると当時考えられていた女性ホルモン注射の投与を受け入れた。
1954年6 月8日、自宅で死んでいるのを発見された。検死の結果、青酸中毒による死であることが判明。ベッドの脇には齧りかけのリンゴが落ちていた。
アラン・チューリング – Wikipedia
パナウェーブでももてはやされた。
ASPでの物理的なディレクトリは何ですか?
ニコラ・テスラ(Nikola Tesla 1856年7 月10日 – 1943年1月 7日)
19世紀中期から20 世紀中期の電気技師、発明家。
交流電流、ラジオやラジコン(無線トランスミッター)、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどの多数の発明、また無線送電システム(世界システム)を提唱したことでも知られる。磁束密度の単位「テスラ」にその名を残す。
1915 年、エジソンとともにノーベル物理学賞受賞候補となるが、共に受賞せず。双方が同時受賞を嫌ったためとも言われている。
またエジソンの名言「天才は1%のひらめきと99%の汗(努力)」を皮肉って以下の言葉を残している。
「天才とは、99%の努力を無にする、1%のひらめきのことである」
ニコラ・テスラ – Wikipedia
世界一!、、、、とは言えないが、この作者もなかなかの切れ者だぞ。
建物のコンクリートが(ry
の時点で読む気を無くしてしまった.
導入部で読む気を無くさせる天才!!
技術ナショナリズムの項は面白いと思ったw
技術ナショナリズム
技術ナショナリズムが国家の崩壊に繋がった典型的な例が米ソの宇宙開発競争だ。
かつて米ソの間で国家の威信をかけた激しい宇宙開発競争が行われた。それがソ連の崩壊を招いた大きな要因の一つとなっている。
技術的な優劣が比較的分かり易い分野でアメリカに勝ちたいという幼稚な意識があったようで競争自体が宇宙開発技術の存在目的となってしまった。
大して意味の無い愚かな競争によって、軍事など多くの分野で間違いなく世界第一級の科学技術を保有していた超大国ソ連はあっけなく崩壊してしまった。今のロシアにはかつての超大国の面影は全く無い。先進国どころか発展途上国と言われても仕方ない状態だ。
そもそも、技術の優劣と民族の優劣は全く関係ない。自分の国に優秀な人材がいなければ移民を受け入れればいい。アメリカの技術が優秀なのは、ロケット工学のフォン・ブラウンや化学者のフェルミといった天才的な外国人を積極的に受け入れてきた事が大きな理由だ。
現在の技術をもってすれば、高さ千メートル以上の建造物を建設する事はさほど難しい事ではない。また、ひたすら速度を追求すれば時速千キロ以上の速度で走行する列車を作る事も恐らく可能だろう。しかし、これらは採算性や実用性という事を考えると必要性が非常に低い。「高さのための高さ」、「速度のための速度」を追求しても無意味だ。日本には世界最大の橋、世界最速の列車というような世界一がたくさんある。だが、これらは日本人の優秀性を示すものではなく、愚かさを示すものでしかない。
ペンローズもすごいね
ロジャー・ペンローズ(Sir Roger Penrose, 1931年8 月8日 – )
イギリス・エセックス州コルチェスター生まれの数学者、宇宙物理学・理論物理学者。
スティーヴン・ホーキングと共にブラックホールの特異点定理(重力崩壊を起こしている物体は最後には全て特異点を形成する)を証明し、「事象の地平線」の存在を唱えた。回転するブラックホールから理論的にはエネルギーを取り出せる方法としてペンローズ過程を考案。『皇帝の新しい心』以降の著書で、現在の量子力学の定式化では現実の世界を記述しきれていないという主張を展開している。
ロジャー・ペンローズ – Wikipedia
間の展開をする科学者に間近に会った時
から、自身がそれなりに自負していた考
えを瞬時に理解し自分よりもあっという
間に2つも3つももっと先まで行ってし
まう科学者がいると。
それが R.P.Feynman であったと。
もしくはDr中松
リチャード・P・ファインマン(Richard Phillips Feynman, 1918年5 月11日 – 1988年2 月15日)
アメリカ合衆国出身の物理学者である。
経路積分や、素粒子の反応を図示化したファインマン・ダイアグラムの発案でも知られる。1965年、量子電磁力学の発展に大きく寄与したことにより、ジュリアン・S・シュウィンガー、朝永振一郎とともにノーベル物理学賞を共同受賞した。物理学の教科書『ファインマン物理学』は世界中で高い評価を受けた。また、『ご冗談でしょう、ファインマンさん』などユーモラスな逸話集も好評を博している。生涯を通して彼は抜群の人気を誇っていた。また、もともと量子力学におけるエネルギーの期待値を計算するために考案されたファインマン-カッツの公式などは、後に金融工学などの経済の分野にも応用されている。
リチャード・P・ファインマン – Wikipedia
中松 義郎(なかまつ よしろう、1928年6 月26日 – )
日本の発明家。通称ドクター・中松。
独創的で奇抜な発想で、世界が注目する一世一代の発明からユニークな発明のものまで、数々の特許を取得した。世界中の数々の栄誉賞を受賞し、工学・法学・医学・理学・人文学の博士号を持っていると自称している。また、アメリカ合衆国の11もの州で名誉市民賞を受賞したり各地で「ドクター中松デー」という記念日が制定されたりしている。
中松義郎 – Wikipedia
若くしてあんな内容書ける力は羨ましい…
エヴァリスト・ガロア(Évariste Galois, 1811年10月25日 – 1832年5 月31日)
フランスの数学者および革命家。
数学者として10代のうちにガロア理論の構成要素である体論や群論の先見的な研究を行った。
代数学で重要な役割を果たすガロア理論は、現代数学の扉を開くとともに、20世紀、21世紀科学のあらゆる分野に絶大な影響を与えている。
ガロアについては、群論の内容が難解であるため、一般にはその激動の生涯の方がよく知られている。
エヴァリスト・ガロア – Wikipedia
レオンハルト・オイラー(Leonhard Euler, 1707年4 月15日 – 1783年9 月18日)
数学者・物理学者であり、天文学者(天体物理学者)である。18世紀最大・最高の数学者である。
解析学(無限小解析)においては膨大な業績があり、微分積分の創始以来もっともこの分野の技法的な完成に寄与した。級数や連分数、母関数の方法、補間法や近似計算、特殊関数や微分方程式、多重積分や偏微分法などなど、古典的な解析学のあらゆる部分に、基本的なものから応用にいたるまでの業績があり、自身の発見を教科書を通して広く一般に普及させた。あまりにも膨大な量のため、彼の解析学における仕事、例えば公式ひとつひとつまでも完全に伝わっているということはなく、あらたな公式の発見などしばしばオイラーの再発見に過ぎないことも多い
レオンハルト・オイラー – Wikipedia
正統派
エドワード・ウイッテン
異端派
スティーブン・ウルフラム
ウルフラムキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
スティーブン・ウルフラム(Stephen Wolfram、1959年8 月29日 – )
アメリカ合衆国のWolfram Research社の創業者で最高経営責任者。また、理論物理学者でもある。
15歳にして素粒子論の学術論文を執筆し、オックスフォード大学を17歳で卒業。
1982年より、現在では『複雑系』に分類される自然界の複雑さについて研究。セル・オートマトンに関する革新的研究を行った。
ノーベル物理学賞受賞者のリチャード・P・ファインマンをして、「カリフォルニア工科大学で次にノーベル物理学賞を受賞するのは彼だ」と言わしめた。
スティーブン・ウルフラム – Wikipedia
>>1 のあげている二人は同じタイプで人のアイデアの価値をいち早く見抜き発展させる
というタイプですよね.色んな天才がいるけど私はパウリとランダウを挙げたい
ヴォルフガング・エルンスト・パウリ(Wolfgang Ernst Pauli, 1900年4 月25日 – 1958年12月15日)
オーストリア生まれのスイスの物理学者。スピンの理論や現代化学の基礎となっているパウリの排他律の発見などの業績で知られる。
パウリは物理学者として、特に量子力学の分野で数多くの重要な業績を残した。彼はほとんど論文を執筆せず、同僚(特に親しかったニールス・ボーアやヴェルナー・ハイゼンベルクなど)との間で長い手紙をやり取りするのを好んだ。彼のアイデアや成果の多くは論文としては発表されず書簡にのみ残され、手紙を受け取った人物によってコピーされたり回覧されたりすることが多かった。それゆえパウリは自分の研究成果が彼の名前で紹介されないことになっても気にしなかったようである。
ヴォルフガング・パウリ – Wikipedia
レフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウ(Lev Davidovich Landau、1908年1 月22日 – 1968年4月 1日)
ロシアの理論物理学者。絶対零度近くでのヘリウムの理論的研究によってノーベル物理学賞を授与された。
エフゲニー・リフシッツとの共著である『理論物理学教程』は、多くの言語に訳され、世界的にも標準的な教科書としてよく知られている。
ノーベル物理学賞を授賞対象となった絶対零度近くでのヘリウムの理論的研究の他、業績は多岐にわたり、液体ヘリウムや金属中の電子系にも応用されることとなるフェルミ液体(フェルミ流体、Fermi liquid)の提唱、二次相転移の現象論(ランダウ理論)、プラズマ振動の理論(ランダウ減衰)などがある。
レフ・ランダウ – Wikipedia
ガラス磨きの趣味から顕微鏡作って、歴史上初めてわざわざ精子を観察するという
変態的快挙を達成して、その後王立協会会員になったんだからね。
アントニ・ファン・レーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek 1632年10月24日 – 1723年8 月26日)
オランダのアマチュア生物学者。歴史上はじめて顕微鏡を使って微生物の世界を見た人物であり、「微生物学の父」とも称せられる。
レーウェンフックは専門的教育を受けていなかったが、自作の顕微鏡で大量の生物学上の発見をした。彼の顕微鏡は、径1mm程度の球形のレンズを、金属板の中央にはめ込んだだけの単眼式のものであった。資料を載せる針はねじ式に微調整できるようになっていた。生涯に作った顕微鏡の数は500にもなるとも言われる。それらを用いて身近なものを覗いて回り、様々なものを見て感動していた。この中には、当時専門家には知られていなかった新発見が多数含まれていた。
アントニ・ファン・レーウェンフック – Wikipedia
Nature掲載数世界一だったと思う。
南方 熊楠(1867年5 月18日- 1941年)12月29日)
戦前日本の博物学者、生物学者(とくに菌類学)、民俗学者。和歌山県出身。
菌類学者としては動物の特徴と植物の特徴を併せ持つ粘菌の研究で知られている。主著『十二支考』『南方随筆』など。投稿論文や書簡が主な執筆対象であったため、平凡社編集による全集が刊行された。「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。
子供の頃から、驚異的な記憶力を持つ神童だった。また常軌を逸した読書家でもあり、蔵書家の家で100冊を越える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶から書写するという特殊な能力をもっていた。科学的な分野から人文的な分野まで幅広く、しかもそれらが互いに強く結びつけられている。その初期のものは小学校の年代で『和漢三才図会』105巻を借覧、記憶して筆写したというところから始まる。
南方熊楠 – Wikipedia
ノーベル賞2回受賞してるし。
アインシュタインも3つノーベル賞級の論文を同時期にかいたが、
結局1回分にまとめられた。
だから回数は意味ない。
>>180
キュリーもサンガーも2回もらってるぞ
ライナス・カール・ポーリング(Linus Carl Pauling, 1901年2 月28日 – 1994年8 月19日)
アメリカ合衆国の量子化学者、生化学者。彼自身は結晶学者、分子生物学者、医療研究者とも自称していた。
20世紀における最も重要な化学者として広く認められている。量子力学を化学に応用した先駆者であり(原理上、量子力学は化学と分子生物学の全情報を記述出来る)、化学結合の本性を記述した業績により1954年にノーベル化学賞を受賞した。
ライナス・ポーリング – Wikipedia
電波を理論で予言したからな。
ジェームズ・クラーク・マクスウェル(James Clerk Maxwell, 1831年6 月13日 – 1879年11 月5日)
イギリス(スコットランド)の理論物理学者。
マイケル・ファラデーによる電磁場理論をもとに、1864年にマクスウェルの方程式を導いて古典電磁気学を確立した。さらに、電磁波の存在を理論的に予想し、その伝播速度が光の速度と同じであること、および横波であることを示した。これらの業績から電磁気学の最も偉大な学者の一人とされる。また、土星の環や気体分子運動論・熱力学・統計力学などの研究でも知られている。
ジェームズ・クラーク・マクスウェル – Wikipedia
ガウスは3時間で出す。
アインシュタインは、ただヒネクレ者だから有名になれただけ。
ガウスはリーマンを天才と認めていたようですよ。
ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(Johann Carl Friedrich Gauss、1777年4 月30日 – 1855年2 月23日)
ドイツの数学者、天文学者、物理学者である。彼の研究は広範囲におよんでおり、特に近代数学のほとんどの分野に影響を与えたと考えられている。
数学や磁気学の各分野には彼の名が付いた法則、手法等が数多く存在する。19世紀最大の数学者の1人である
カール・フリードリヒ・ガウス – Wikipedia
ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン(Georg Friedrich Bernhard Riemann, 1826年9 月17日 – 1866年7 月20日)
ドイツの数学者。解析学、幾何学、数論の分野で業績を上げた。
アーベル関数に関する研究によって当時の数学者から高く評価されたが、先駆的な彼の研究は十分に理解されず、20世紀になって彼のそれぞれの研究分野で再評価されるようになった。19世紀を代表する数学者の一人である。
「幾何学の基礎にある仮説について」で大学教授資格を取得した。(ガウスは若い数学者をほとんど評価しなかったが、リーマン幾何学に関する講演を高く賞賛した。)二つの論文によって、複素解析の基礎づけとリーマン幾何学を確立した。
ベルンハルト・リーマン – Wikipedia
[天才1]
【物理学者】ガリレオ・ニュートン・アインシュタイン
【数学者】ユークリッド・ガウス・オイラー・リーマン・ガロア・アーベル
[天才2]
【物理学者】シュレーディンガー・マクスウェル・ファラディー・ドブロイ
【数学者】ゲーデル・カントール・ヒルベルト・フーリエ・
チューリング・シャノン・ペンローズ
[天才3]
【言語学】チョムスキー
[超秀才系]
【物理学者】ボーア・ハイゼンベルグ・ウィッテン・ホーキング
【数学者】コーシー・ノイマン
現代に甦っても、たいした活躍できないんじゃないかと思う。
禿同
やっぱりアインシュタインでいいんじゃないか?
茂木健一郎センセイだろ
いやピノキオだろ。
彼は「地球は平面である」と発言し鼻が伸びたために
地球が球形であると証明されたエピソードはあまりに有名。
世界一の天才科学者だって!?
俺に決まってるだろ
ここはDr.ワイリーということでで落ち着こう
アルバート・W・ワイリー(Albert W. Wily)
目立ちたがり屋でプライドが高く、負けを認めるのが嫌いで懲りない性格。
ライト博士とはローバート工科大学時代からの旧友でもある。LITマニュアルデザインコンテスト5年連続準優勝、世界技術大賞銀賞、ノーブル物理学賞ノミネート等を受賞。
ライトに次ぐ功績を誇るが、万年2位という立場がプライドに傷を付けたようだ。卒業後行方不明になり、数年後太平洋にロボット工場を建設。世界征服を企むようになった。
Dr.ワイリーとは (ドクターワイリーとは) – ニコニコ大百科
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